桜守ガイド堅義理くんの趣味の日記。日本伝統の木造建築の情報も掲載していきます。

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養蚕時代の僅かな名残 「桑の木」 と 「桑の実」

下條村陽皐(ひさわ)で見かけた、桑の木

こちらは、中川村「伊那田島駅」近くで見つけた、桑の大木

かつて、養蚕が盛んだったころは、お手伝い休みに祖父母宅へ行き

子供専用の、背負い魚籠(しょいびく)に、桑の葉をずっしり詰めて

お蚕さまのもとまで、何度も運んだものだ  けっこう重労働だったなぁ

桑の実を食べると、口の中もまわりも、ど紫色になった

今はなんと、桑葉はお茶用として栽培され、実を付けないようにしているとか ・・・

小学生時代の文集 「桑の実」 は、今でも続いているのかな?

お茶用桑畑からの眺め ( 陣馬形山麓飯沼地区 )

(2010年07月01日 09:13 from 堅義理 )

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 懐かしいですね。私は昔、よその畑に入って、桑のみを頂戴しておりました。近くに、畑のおじさんがいるにもかかわらず。食べた後、目が合うと、お互いに、にやり!おじさんは、黙ったままうなずいて、どっかに行っちゃうんです。とても、楽しい思い出でした。

2010 年 7 月 1 日 11:03 PM from ぴっぴ

下伊那の歌人18
桑摘みて帰る野路のくれそめて街の灯のまばらに見ゆる
              羽生 文市

 大正九年下久堅村虎岩生まれ。農耕の傍ら「一鍬」へ発表。

 意外なことに東京でも桑の木はあちらこちらで見ることが出来る。多摩川べりの散歩道には一抱えもある大木が何本も生えているし、駅へ行く途中の民家の塀の間やマンションの玄関先にもごく自然に枝葉を伸ばしている。しかし、どれもが畑で栽培していた背の低い桑の木からは想像できないほど立派な樹姿をしている。容赦なく枝を切られたり葉を摘み取られることがなくなった桑の自然な姿なのである。
 蚕が桑を食べる間は、毎日どんなに天気が悪くても桑摘みには出かけなければならなかった。養蚕は楽な仕事ではなかったが、繭を紡ぐ仕事も同じように過酷な仕事であった。日本の富を支える紡績工場の労働者として動員された少女達は例外なく貧しい家庭の子供であった。自らは決して身に着けることのない絹を、彼女達はひたすら紡ぎ続けたのである。体調を崩しても十分な手当や看病が施されることはなかった。過酷な環境の中で多くの女工が死んでいったのである。貧しく生まれた人間は死んでいく時も貧しく、そして孤独であった。
 畑から開放された桑の木が作る木陰を颯爽と通り過ぎるお嬢さん達は桑の名前も繭にまつわる悲しい話も知らない。

2010 年 7 月 4 日 8:24 AM from 伊那の白梅