「みつびき」の名物女将、平澤裕子さん、逝く。
「あなたの言っていることは、理屈で生意気で、気にいらん。」
「もう、帰ってくんな、また来んでもいいで」
三日後、「悪かったなあ」お互いに気脈が通じて、通い始めて15年ほど。
どん底の時は静かに優しく諭され、得意な時はますます励ましてくれた。
“まだ見ぬ仏を訪ねて”の旅では、仏像に向う小生の涙を目撃され、こっそり称賛してくださった。
9ヵ月におよぶ闘病生活のすえ、5月31日に逝去された。
昨夜のお通夜と、本日の告別式、葬儀に参列させて戴き、お別れしてきました。
裕子さん、ありがとう。あのポークハワイアンの味とともに終生忘れません。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
地元の新聞、南信州「日言」に本日6月3日付けで掲載された記事を紹介します。
本社が育良町に移ってからも、夜のとばりが下りると丘の上に足を運びたくなる理由が一つあった。中央通り西友裏の「みつびき」に立ち寄ることだ。
のれんをくぐると、いつものメンバーに女将(おかみ)の笑顔があった。みつびきが閉店してから9ヵ月。元気になって、また新しい人生を開くんだと、そんな気構えで闘病生活に入った女将、平澤裕子さんが亡くなった。
ママと呼ぶ人がいれば、おかあちゃと呼ぶ人がいる。狭い店でも、ここの女主人は気風が違う。これはやっぱり女将だぞ。若者連中が女将と呼ぶと、ほかの大人たちもそう呼び始めた。20年も前の話だ。
公務員がいれば僧侶も会社社長もいる。出勤前のホステスに、行き場のない若者、ここがおれの根城だと陣取るよた者もいた。じぶん自身を律しながら、雑多な客と同じ目線で接する。談論風発が起きると、なぜかそのメンバーの中に女将がいた。
明治大学教授だった後藤総一郎さんの行き付けの店として知られた。いつしかそこに議論好きが集まり、もう一つの常民大学が開かれた。後藤さんが他界してから、気丈な女将にも迷いと病魔が襲った。それでも踏ん張って、行き場のない、昔若者だった中年男たちを笑顔で迎え入れた。
享年64歳。二度と戻れない時間と、飯田の大切な文化をまた一つ、無くしてしまった。女将らしい辞世の句は、 「葬式は短く、宴会は長く」 だったそうだ。 合掌。
記者の村澤聡さん、ありがとうございました。

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