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2008 ” 田舎の夏模様 ” さりげない風景
JR飯田線 「高遠原駅」 付近
同、夜景
「伊那田島駅」 誰もいない
陣馬形山を望む (上伊那郡中川村)
中央アルプスに向き合う 蓮の花 (上伊那郡飯島町)
温水の中の おたまじゃくし
藪中に咲く キツネノカミソリ
下伊那郡平谷村 ” ひまわり街道 “
下伊那郡阿智村 浪合の とうもろこし畑
標高約1200mが生み出す、日中と朝晩の寒暖差
実を引き締め、糖度を高め、美味
下伊那郡売木村の蓮池に、とんぼ
売木村の稲田と ” はざ “












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下伊那の歌人10
伊那谷はさびしくもあるか燈ともさぬ電車停留所に月明かりさす
瀬下 義友
明治35年下諏訪町生まれ、小学校教員となり生田、喬木、三穂等の小学校勤務。本名由比。
昭和40年から50年代にかけて、新宿飯田間の急行は日に2、3本しかなかった。新宿駅のホームに長い時間並ぶ根気もなく、適当な電車に乗って帰郷したことが度々あった。一人の怠惰な生活だったから、出発するのは決まって昼過ぎだった。辰野駅で飯田線に乗り継ぐ頃には夕方になっていた。飯田線では電車がすれ違うためにとんでもなく長い待ち時間が必要だったから、いくらも走らないうちに日は暮れた。夜の駅はどこも人影は少なく、乗り降りする人も滅多になかった。
何に対しても希望が持てず、虚しい気持ちを抱いて帰るには、満員の急行列車より夜の鈍行がふさわしかった。賑やかな場所は苦手だったし、顔見知りと出会う心配もなかった。
無計画で気紛れに乗った電車ではあったが、かといって知らない夜の駅に気紛れに降り立つほどの勇気も持てない自分が腹立たしかった。自負と挫折、焦燥と諦観。
故郷の目的の駅にたどり着いても、感傷に満ちた傷心は癒されることはなかった。
2008 年 8 月 16 日 10:50 PM from 伊那の白梅
漠然とした不安を抱えて、新宿駅発の夜行ヂーゼル車に乗り、無遠慮に効き過ぎた暖房にまんじりともせず、帰省した日々を想い出します。
2008 年 8 月 16 日 10:58 PM from 堅義理