桜守ガイド堅義理くんの趣味の日記。日本伝統の木造建築の情報も掲載していきます。

南信州の自然と風土をこよなく愛する管理人の情報発信日記です
カテゴリ>>南信州の自然

彼岸花が満開の 嶺岳寺 (下伊那郡松川町生田)

鮮やかな彼岸花が、その名の通り、今がちょうど見ごろ

嶺岳寺 ( れいがくじ ) 広沢勝則住職が高校教師を退職後、

幼い頃に好きだった彼岸花の球根を、気長に植えて育てて、今では約5万株に

真っ赤な絨毯を敷き詰めたようで、周りの緑とよく調和

別名 「マンジュシャゲ」 「シビトバナ」 「ユウレイバナ」

稀に、白い花もあります

同寺は天竜川左岸、西向きに位置し、雄大な中央アルプスを望む

隣接する豊丘村河野で、稲のはざ架け作業

はざ杭に鋼製パイプが使われるようになった

かつては農家が、水田の畦道や土手に ” もぐら除け ” に彼岸花を植えた

鱗茎が有毒なために、薬などにも利用される

稲作文化の日本、未来永劫、決して無くしてはいけない風景である

(2008年09月24日 11:28 from 堅義理 )

コメント&トラックバック

下伊那の歌人12
秋草の刈られし堤(どて)にのびのびて一叢赤し曼珠沙華の花
 熊谷治郎
明治33年川路村生下伊那の各地に教員として勤務。丸山東一らと親交があった。

 その花をはじめて意識したのは小学校低学年の頃である。すっと伸びた茎の先に花火のような花弁を開かせた花は不思議なことに葉がなかった。思わず手を伸ばしたのは遠足の帰り道であった。手早く摘み採り、そっとリュックに仕舞ったことを覚えている。家族は喜ぶだろうか、私の心は弾んでいた。しかし、反応は意外であった。彼岸花と言うんだ、よりによって縁起でもないと、随分叱られたあげく庭の掃きだめへ走らされた。塵を捨てに行く度に乾いて色褪せていく花を目にして心は乱れた。以来曼珠沙華は私のトラウマの花になった。そしてそれは私が埼玉の高麗川へ移り住むまでの長い間意識の奥に深く沈んでいた。
 高麗川への転居を知らせる葉書が着くなり連絡を寄越して来たのは古い知人であった。
「巾着田に近いのよね。曼珠沙華は私の一番好きな花。その頃お邪魔してもいいかしら」
自宅の近くに巾着田という名所があることをその時はじめて知った。彼岸花の有名な群生地なのだという。思いがけない申し出を私は素直に喜んだ。
「昔は土葬だったでしょ」
一面に咲く花を指して彼女は言った。
「獣に悪戯されないように毒のある曼珠沙華を植えたのよ。だから仏様の花。でも飢饉の時は球根を水に晒して食用にしたんですって」
目の前の花にトンボが止まり、徐々に羽を降ろしていく。
「彼岸花に罪はないわ」
私の話に答えて言った。
確かに、遠い昔こうして幾度となく親しく遣り取りをしたのだと思った。
小さな呪縛が解けて行くのが分かった。
トンボは風に吹かれて飛び立ったかと思うと再び同じ位置に止まった。
幾度となく同じ動きを繰り返すトンボを私たちは暫くの間じっと眺めていた。

2008 年 10 月 2 日 8:28 PM from 伊那の白梅