書籍 「歳月」 から、① ”バナナ”
昭和30年生まれの長男○○が、4歳ごろのことである。
近くのN食料品店の店先に、よく熟れたバナナの房が並んでいた。それを見つけた○○は、
「うわっ! バナナだ! 買って、買って。おかあちゃ買って」と、大きな声でせがんだ。
そして、「さっちゃんはね、バナナが大好きほんとだよ・・・・・」保育園で覚えたきたばかりの歌をうたい始めた。
歌い終わると、こんどは、「バナナ、バナナ、うれしいな・・・・・」体を躍らせて、バナナのそばから離れようとはしなかった。
絵本では見ているものの、○○がバナナの実物を目にしたのは、このときが最初であった。
私は、一本二十円のそのバナナ二本をもとめることにきめた。
店のご主人は、調理場から包丁を持ってきて、大きな房から二本を切り取った。
そして、「坊や、これはうまいぞ」と、言いながら、一本ずつに分けて直接○○の両手に持たせてくれた。
店内には、買物籠をさげた数人のおばさんたちがいて、「坊や、良かったなあ」と声をかけてくれた。
みんなの視線を浴びて○○は二本のバナナをかかげてみせた。
一本ずつ持ったバナナは、小さな片手では握りきれない大きさであった。
私は、つぎに買う物をさがして息子から少し離れた所にいた。すると、「まあ。坊やったら・・・・・」後ろから一人の客の声が飛んできた。ふり返ると、店の中央にいる息子が、右手に持っているバナナに、皮ごとかぶりついているではないか・・・。
「あれっ! まあ。ちょっと、ちょっと待ちな・・・・・」 私は駆け寄った。
そして、○○の口元にある右手をバナナごと脇におろさせて、左手も押えつけた。
「まあ、この子ったら」 さりげなく笑いながら、私は、急いでバナナだけの勘定をすませた。
怪訝な目で見上げる息子の背中を小突きながら、足早に店をでるのがその時の私には、精いっぱいの思いつきであった。
バナナは皮をむいて食べるものだとまだ教えてなかったから、食べ方を知らないのは無理もない。
○○にしてみれば、さっちゃんの歌の言葉で知っていたバナナと、その実物が目の前で一致したのは、きょうが初めてなのである。だから、分かるはずもないわけだ。
りんごを皮ごと食べる発想でかぶりついたにちがいない。
私は、店から離れた道端まで○○を引っ張って来て、息を整えながら屈んだ。
小さな手にしっかり握られていた、噛んだ歯形の残っている方のバナナの皮を、息子の目の前でゆっくりむいた。
皮を半分ぐらい残しておき、両手を重ねて持っていた手の平にのせた。
息子は、最初のひと口はそっと口にいれ、味をたしかめているようだった。つづいて、ひと口、つぎは、パクリと大口にたいらげてしまった。
食べ終わった息子を、午後の日ざしに向けて、私は、高だかと抱きあげた。
あのころのバナナは、まだ珍しい果物であった。
バナナが全面自由化されて輸入されるようになったのは、たしか昭和三八年ごろであった。あの失敗から数年経てからである。自由化にともないバナナは多量に市場に出回ってきて、身近な、ありふれた果物となった。値段にしても三十年前とほとんど同じで手に入る昨今である。
はじめて口にしたときのバナナの味、その後、自分でむいて食べてきた味について、息子と話しあったことはないが、
あのときのうっかり劇のひとこまは、私の脳裏の片隅に居座ったままである。
ご推察の通り、○○は、小生「堅義理」であります。
書籍 「歳月」 は、1995年に発行されました。

コメント&トラックバック