書籍 「歳月」 から、② ” うしろ姿 “
「おじいちゃ。どうして死んでしまったんな」
体にわずかな温(ぬく)みをとどめてはいるものの、もうこの世の人ではない私の父の手を握って、夫は叫んだ。
一人暮らしだった父が危篤だという知らせを受けて、私たちが駆けつけたのは、夏の夜が明けはじめた昭和三十四年八月末のことであった。
その夜、湯灌が行われた。
きびしい残暑に加えて、ドライアイスも普及していない当時のことで、一日を経過した遺体からは、早くも死臭が漂いはじめていた。
私は、たくさんの線香を焚いて、その臭いを押さえようとしたが、臭いは募るばかりであった。
どうしてこうも気になるのだろう、私だけが・・・・・。
この臭いは、引き止める父を振り切るようにして、嫁いでしまった私への、父の苦言なのかもしれない。そう思いついたとき、手渡された藁襷(わらたすき)を持つ手は震えて、立ちつくしてしまった。
ぼんやりとしている私とは反対に、夫は、納棺の手伝いをはじめた。壊れ物でも扱うように亡き骸を抱いたり、ときには生きている人に話すような言葉をかけながら、仏となった父に奉仕していた。
そのとき、肩幅のある夫のうしろ姿からは、やさしさとあたたかさが、ごく自然に溢れ出ていた。
それから数年たって、夫の祖母が亡くなった。このときも夫は、心をこめてお世話をして見送った。私は、変わりのない夫の誠実さに再び深い感動を覚えたのだった。
普段は、気が短くて怒鳴ることや酔って深夜に帰宅することなどしょっちゅうで、仕事柄か人使いも荒かった。その上に、木を扱う商売だからというわけではないが、気(木)も多くて、ときどき女性関係のもつれなども生じた。
私は、その都度耐えたり、努力はしたが、腹が立つことの方が優先した。本気で別れようと考えたことも、二度や三度ではなかった。
でも、最後の決断をする一歩手前で私を思いとどまらせたのは、祖母や父の終焉に垣間見た夫の、かくされた人間的な ” あたたかさ ” であった。
あれから三十年余りが過ぎた。
生前の夫に、私は、この思いを告げたことはなかった。が、あのときの感動が夫婦の絆を支えてくれたすべてであったことは、たしかである。
書籍 「歳月」 は、1995年2月10日に発行されました。

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