桜守ガイド堅義理くんの趣味の日記。日本伝統の木造建築の情報も掲載していきます。

南信州の自然と風土をこよなく愛する管理人の情報発信日記です
カテゴリ>>木魂日記

書籍 「歳月」から、③ ” 少年の肩 “

まさか、そんな馬鹿なことが  。

間違いにきまっている。

私の頭の中は、否定の言葉ばかりが駆けめぐる。しかし、体中が震え出して止まらなくなってしまった。一刻も早く娘の所へ行かなければとあせっても、立てない、歩けないの状態がしばらく続いた。

気持ちを立て直して、ようやく娘の家に着いたのは、夜の十時近くであった。

普段と変わらない玄関灯の下で、私は、もう一度背筋を伸ばし、しっかりしなくてはと自分に言い聞かせた。

平成六年四月二十六日、二十時十五分ころ名古屋空港に着陸しようとした、台北発の中華航空機140便エアバスA300-600Rが着陸に失敗して同空港南端滑走路に墜落した。

機体はたちまち炎上して、乗客のほとんどが死亡するという大惨事を引き起こした。

この事故を私は、長男○○からの電話で知った。

スイッチを入れた民放テレビの画面には、燃え上がる炎や、焼けただれた機体、それに、行き交う消防隊員が映し出されていた。

映像の合間に、搭乗者名が流れはじめた。その中に、二日前、台湾旅行に出掛けた○○○○○○○○という婿の名前があった。

ひっそりとした家の中で、娘は婿の旅程表を食卓に展げて座っていた。

間違いではないのかと問う私に、「旅程表の便名とは違っているが、台北発であるし、到着時刻が同じであるから、多分、この飛行機に乗っていたと思う・・・・・・」 と、答えると黙ってしまった。

予期しない重大事に、これからどう対応すればよいのか見当がつかないのだろう。私も同じである。

三人の孫たち(小学六年生、四年生、一年生の男児)は、すでに眠っていたが、私の気配で六年生の○○○だけが起き出してきた。

翌朝、修学旅行に出発する○○○には、この事態をそのまま知らせたくなかった。だが、いつもの雰囲気と違うせいか、娘の回りを行ったり来たりしてなかなか眠ろうとはしない。ようやく十二時ごろ布団にもぐり込んだ。

テレビを見るのはつらいという娘に代わって私は、別室で事故の推移を追った。

事故機の乗客は255人で、この中に、飯田市の「M会社協力会」の台湾旅行に参加した22名が含まれていることが分かった。婿もその仲間であった。

つづいて、協力会の関係者ら四十人ほどが大型バスで名古屋に向かったことも報道された。バスには、婿の兄と、勤務先の社員二人が乗ったことを、後から知らされた。

この時点で、空港の状態を知る連絡は皆無で、情報はテレビ放映に限られていて、不安だけが先行していた。

午前二時、娘は○○の運転する車で名古屋に向かうことになった。現地の状況が分からないため、パジャマと毛布だけを持った。私は、○○○のために作ってあったおにぎり三個を包んで持たせた。そして、「協力会の人たちは、全員生きているから大丈夫だ  」と、言葉を添えて送り出した。

二人の車が角を曲がって、尾灯が見えなくなった。私は、なおもテレビを見続けたが、生存者数は少しも増えない。

( 生きていてくれ。生きていなければ・・・・・・・ )

娘たちの車が、恵那山トンネルを通過すると思われるころ、飯田からの一行22名に生存者はいないことが判明したと、M会社から電話連絡が入った。

四月下旬の夜明けは早い。

すっかり明るくなった午前五時すぎ私は、☆☆☆小学校へ向かった。六年生の修学旅行出発の朝である。父親の死亡が確認されたので、○○○の旅行参加を急きょ取り止めるためであった。

○○○の担任の先生は、「わかりました」と深くうなずかれてから、「私たちは、予定したことなので行かせていただきますが・・・・・」と、丁寧な口調でなぐさめの言葉をかけてくださった。

○○○の枕元には、しおりや、おやつが詰められた真新しいリュックサックがある。洋服や、くつ下、それに、靴まで新品で揃えられている。一生に一度だけの小学校の修学旅行は、親子ともども胸をはずませて待つものだ。

父親の突然の死を、○○○にどう話そうか。私は、旅行を取り止めるための説得を考えつづけた。この際、事実を曲げて伝えることはよくない  。

二転三転の思案の末、飛行機は炎上したが、救助されている人もいるから、お父さんは、きっと大丈夫だと思う。名古屋へ行っているお母さんからの知らせがあるはずだから、きょうの旅行は見合わせることにしたと、○○○の目を見て話した。

「おれ、なんで旅行に行けんのなあ ? どうして  」

○○○は、いつになく真剣な顔つきで聞き返した。私は、もう一度、同じ内容の説明を手短かにするしかなかった。

○○○はリュックサックを引き寄せて、しおりを開いたり、おやつの袋を取り出してみたりしていた。しばらくして、

「おれ、旅行に行けんのなら、旅行記書かかんでもいいんだなあ・・・・・・」と、ぼそりと言うと、敷き放しの寝床に再び横になり、私に背中を向けた。

その少年の肩が、かすかに震えていた。

[ あれから14年、○○○は26歳になり、現在は名古屋で元気に働いている ]

書籍 「歳月」 は、1995年2月10日に発行されました。

①~③は、著者の亡夫、長男、初の男孫について書いてあります。

(2008年12月28日 17:24 from 堅義理 )

コメント&トラックバック