『艱難辛苦』 この一年 魂を救ってくれた菩薩さま
海住山寺(かいじゅうせんじ)、奥の院本尊の「十一面観音菩薩」さまです
普段は、奈良国立博物館にいらっしゃいますが、
この時は、海住山寺に戻られ、久しぶりに対面、お話しいたしました
木津川を見下ろす丘に建つ、地味ですがとても惹かれる寺院です
海住山寺(かいじゅうせんじ)、奥の院本尊の「十一面観音菩薩」さまです
普段は、奈良国立博物館にいらっしゃいますが、
この時は、海住山寺に戻られ、久しぶりに対面、お話しいたしました
木津川を見下ろす丘に建つ、地味ですがとても惹かれる寺院です
国宝 執金剛神立像(しゅこんごうじんりゅうぞう)
金剛杵(こんごうしょ)を執って仏法を守護する神さまです。
眼を瞋(いか)らせ、口を喝と開いて、今にも怒号と共に金剛杵を振り下ろそうとする一瞬が実に見事です。
東大寺の前身寺院である金鍾寺(こんしゅじ)の創建よりも前に、
役行者(えんのぎょうじゃ)が、この尊像を板車に乗せ、荒縄を付けて引っ張り歩いていたとのこと。
(諸説ありますが)
髻(もとどり)の元結(もとゆい)紐の端が決失しているのは、
平将門の乱(940年)の折、この神前で将門誅討の祈祷を行ったところ、
この髻が大蜂となって東方に飛び去り、乱を平定したとの、霊異伝説が残っています。
戒壇院の四天王像と同じく塑像ですが、秘仏であったために、鮮やかなその色彩に惹きつけられます。
毎年一度、開祖良弁(ろうべん)僧正の遷化日(773年)、12月16日に特別開扉
ちょうど、あと七か月後にまたお会いできますね
本物の仏像は生きています。
その精神性を感じとり、撮影し写真として表現する気概は、並大抵ではありません。
京都嵯峨野から周山街道を北山へ、徒歩にて急な坂道を高雄山麓から神護寺へと向かう。
参道から見上げる三門をくぐり、金堂まではいま暫らく。
本堂奥の薄暗い壇上、目の高さがちょうどお薬師如来の足元です。
眼を凝らしてじいっと見入ります。
息が止まり、腹の底から突き上げたものが、脳に溢れます。
ほっとして目頭が熱くなります。
ふっと息が漏れて、力が抜けて、眼尻から真珠がこぼれます。
“森厳雄偉な迫力” まさにその通りです。が、とても柔和なお顔に思えます。
それにしても、土門拳氏の写し撮った仏像の精神は、すごい。
生きている仏像の魂が彼に乗り移っているようです。
土門拳氏の故郷、山形県酒田市をぜひ訪ねてみたいです。
「おしん」の奉公先も酒田でしたね。
2009年は、生誕100年となります。
本物の仏像はみな 生きています 。
小学生だった頃から、最初にお会いしたその瞬間に魅入られてしまった仏像が、何体もあります。
人生のその時々に、またお会いし、こころでお話しをします。
なかでも、法隆寺の九面観音さんは、私の憧憬です。
この像は、頭上面以外は耳飾り・胸飾り・瓔珞(ようらく)などの装身具、天衣、右手に執る数珠や左手に捧げ持つ水瓶を含めて足下の蓮華までの、すべてを白檀の一木から彫り出している。各部分はあくまで細緻に丹念にに彫られ、白檀像の特性をいかんなく発揮している。鼻筋が通り、瞳の奥に強い意志を秘めた若々しい表情は、中国初唐から盛唐にかかる頃の石彫作品と似たところがあり、その制作時期をほぼ七世紀後半ととらえることができる。
中国から請来された檀像の代表的作品です。 像高 37.6cm。 国宝。
近鉄奈良駅の脇、噴水の中央に立つ行基菩薩の銅像です。
1300年を経た現在の衆生をも、慈悲深く見守っていてくださいます。
和泉の人。 俗姓は高志氏。 668年~749年。
諸国を巡遊し、池堤設置・寺院建立・道路開拓・橋梁架設を行ったが、僧尼令に反するとして禁止された。
のちに聖武天皇の帰依をうけて大仏造営に携わり、大僧正位を授けられました。
鎮護国家のための仏教から、庶民のための仏教を布教し初めて実践された方です。
奈良市民をはじめ、この像にお参りする人の姿は、毎日絶えることがありません。
背景の「リニア中央エクスプレス」・・・・・ 行基さまは如何に?