桜守ガイド堅義理くんの趣味の日記。日本伝統の木造建築の情報も掲載していきます。

南信州の自然と風土をこよなく愛する管理人の情報発信日記です
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映画 『大鹿村騒動記』 の主演、原田芳雄さん逝く

お亡くなりになった日の77日前、5月3日、大鹿村「大磧神社」にて

痩せこけた頬と、やさしい口元、そしていとおしむような鋭い眼差し

その目線の先には ・・・・

大鹿歌舞伎 春の定期公演 で演じられている

あの 『六千両後日之文章 重忠館の段』 のクライマックス

どうかこれからも、美しい大鹿村の人々の生活を、見守ってくださいませ。

原田芳雄さまのご冥福を、こころよりお祈り申し上げます。

(2011年07月22日 17:51 from 堅義理 )
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暑中お見舞い申し上げます。

(2011年07月01日 00:00 from 堅義理 )
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『名倉談義』 から55年を経た 「万歳峠」(奥三河設楽町)

民俗学者 宮本常一 氏の名著  『忘れられた日本人』 中の 『名倉談義』

昭和31年に、地元の年寄たちにより語られる、「万歳峠」とは

「万歳峠というのはな、村の者が兵隊を見送っていくのに、峠の上までいって万歳をとなえたのではまことに愛想がない。皆さん行って来ますいうて、峠をおりたのではすぐ姿が見えなくなる。そこで峠の上から六、七丁もこちらへ下った市場口の北のはずれで見送ることにした。

そこで万歳をとなえる。行くものはそれからあるきながら手をふる。こちらも立って手をふる。道が曲がって姿が見えんようになるまで、しばらくは時間もかかる。まァ、名残りをおしむというようなわけで。日露戦争のときも、日独戦争のときも、今度の戦争のときも、入営兵士のあるときは、みんなそこで送ったもんです。村を出ていくのにもおもむきのあったもんです。」

「それでもやっぱり車のとおる道のできたのはよかった。もとは細い谷の延坂(のべざか)の上まで上がって来たもんだった。あの道ができて間もなく日清戦争がはじまって・・・・・。」 「そうそう、あれから万歳峠になった。」

『名倉談義』の座談会場となった、大蔵寺(だいぞうじ)のお大黒さんのお話しで

「万歳峠」を地元では、「ばんぜえとうげ」 と呼んでいたことがわかりました

当時の名倉村で、宮本常一氏の現地調査を世話して下さったのが

「大へんな郷土史の百姓学者がいて、村人から尊敬されている」 澤田久夫氏でした

澤田久夫氏は、自分の息子と娘へ、素晴らしい手作りの絵本を残されました

「ラムノシタワ」 「ラムノクボ」 とは、 「私の村、僕の村」 です

(2011年06月14日 16:44 from 堅義理 )
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櫻井棟梁の写真が「東京財団英語サイト」にアップされました

政策をつくる 人を育てる 社会を変える 『 東京財団 』

英語サイトには、日本の社会や文化を海外の人に知ってもらうため

さまざまな記事が掲載されています

The Great Handicraft Extinction (2)

塩野米松氏の執筆された 『手仕事と共になくなったもの』 『消えた徒弟制度』 の

英訳記事中に、宮大工 櫻井三也棟梁の技による、

[ 槍鉋 ] と [ 龍の彫りもの ] が写真で紹介されました

不思議なご縁で、本物を希求する方々に巡り合えました

ありがとうございます 心より、感謝申し上げます

(2011年05月18日 16:30 from 堅義理 )

「青いダイヤ」松川町生田峠区の龍峡小梅 開花

急峻な斜面で、龍峡小梅がようやく開花しました

実の収穫時に、一個でも落とせば、もぅー大変

遥か彼方にまで、転がり落ちていってしまいます

86歳になった今も、栽培を続けている筒井隆さんと愛犬のイチです

なんと、筒井さんは真冬でも靴下を穿かずに、素足です

ご自宅の庭先には、「にたり」という甘柿の大木が構えます

居間の壁に、何かのご縁で驚くべきものに出会いました

『 西尾 実 』 さん1889年生まれ

(国立国語研究所初代所長) 下伊那郡阿南町出身 直筆の文章です

「知っているか、伊那の谷の入り口に立って 遠く望む南の空の夕映えの美しさを。

あの遥かな空の下で、父と母が爐を囲んで、わたしの帰って行くのを待っていたのは

幾とせ幾たびであったか。それは過ぎ去った日の思いでにすぎなくなった。

が、あの南の空の夕映えの美しさは、今もわたしを立ち止まらせ、

わたしの心を惹きつける。」

昭和三十五年五月九日       西尾 実

(2011年04月06日 18:19 from 堅義理 )